医院承継の譲渡契約を成功させるポイントと注意点〈行政書士の解説〉
目次
医院継承(医業継承)における譲渡契約は、病院やクリニックの運営を継続し、地域医療を守るために欠かせない手続きです。しかし、医療機関特有の法的規制や行政手続きがあるため、一般的な事業承継とは異なる注意点が数多く存在します。
本記事では、株式会社エムステージマネジメントソリューションズのコンサルタントと医院継承に取り組む行政書士・Kの先生への取材をもとに、医療法人と個人クリニックの譲渡契約で知っておくべきポイントを詳しく解説します。
【行政書士・K先生プロフィール】医業を専門とする行政書士。神奈川県行政書士会所属。医療法人の設立やクリニック・歯科医院の開業、診療所の移転、分院の開設、定款の変更、議事録作成などの仕事を手掛ける。これまでの仕事で警察官、医業M&A専門コンサルタントを経ているという異色の経歴の持ち主。
医療法人を譲渡契約する場合の基礎知識
医療法人の譲渡契約は、一般的な法人譲渡とは大きく異なります。「社員」「理事」「出資持分」といった独特の概念があり、非営利性の原則による制約も存在します。
まずは医療法人の基本的な仕組みを理解しましょう。
医療法人の組織構造と仕組みを理解する
医療法人を譲渡契約する際は、医療法人における「社員」や「理事」の関係性や違いをよく確認しておくことが重要です。
【医療法人の組織構造】

医療法人の統治の仕組みを理解しておくことは、事業譲渡を行う上で必要不可欠です。実は、運営中の医療法人でも「社員」と「理事」の違いをはっきり理解されていないところが多いのも現状です。
社員と理事の違いと役割
社員と理事は兼務できますが、それらが構成する「社員総会」と「理事会」はそれぞれ役割が異なります。理事は社員総会で選出されるので、理事会よりも社員総会の方が統治の仕組みでは上位に位置します。
社団医療法人は株式会社と比較されることがよくありますが、株式会社では株主は持ち株数が多くなるにつれ発言権も大きくなるのに対し、医療法人は出資持分をいくら持っていても1人の社員につき1議決権しかありません。
医療法人の譲渡契約を成功させる最重要ポイント
医療法人の出資持分をいくら持っていても1人の社員につき1議決権しかないという特徴が、医療法人の譲渡契約を締結する上で最大の障壁になります。
そのため、医療法人の譲渡を行う際は、譲渡を行う医療法人の院長に対して「しっかり社員の過半数を押さえてください」とお話をしています。ここが、医療法人の譲渡契約で1番重要なポイントといえるでしょう。
また、社員は3名以上が望ましいとされているのに対し「理事は3名以上いなければならない」と、医療法によって定められているので留意する必要があります。
“医療法人には、役員として、理事三人以上及び監事一人以上を置かなければならない。”
小さなクリニックで医療法人を運営しているところでは「理事=社員=出資持分者」となっているところも多いのですが、これは同じでなくても構いません。
「社員は必ず理事にならなくてはならない」「理事は必ず社員にならなければいけない」と思われている先生も多いのですが、とくに決まりはありません。
出資持分の取り扱いと注意点
「出資持分の払い戻し請求権」は、個人のみに認められた権利です。この部分は複雑な内容となるため、以下の表を参考にしてください。

出資持分については、営利法人・非営利法人・個人すべてで保有できます。出資持分を保有せずに社員となること、社員にならずに出資持分のみを保有することも、法人・個人問わず認められています。
退職時における「出資持分の払い戻し請求権」は個人限定の権利であり、法人解散時における「残余財産分配請求権」は法人・個人の両方が保有しています。
個人営業クリニック(医院)の譲渡契約における注意点
個人経営のクリニック(医院)の譲渡契約は、医療法人とは大きく異なる手続きが必要です。最も重要なのは、保険診療を継続するための「遡求申請」と呼ばれる手続きです。
個人クリニックの場合、法人格がないため事業譲渡の形となり、一度旧クリニックを廃止してから新たに開設届を提出する必要があります。ここでは、個人クリニックの譲渡契約で失敗しないための重要なポイントを、実務的な観点から詳しく説明していきます。
保険請求の遡求申請とは
個人経営のクリニック(医院)の譲渡契約では、保険請求における「遡求(そきゅう)申請」を適切に実施できるよう承継する必要があります。
個人経営のクリニック(医院)から個人への承継では、原則として事業譲渡契約となり、旧クリニックや医院の廃院届提出後に、承継する新院長による開設届の提出が行われます。

新たに医療機関が保険診療を実施するには、保険医療機関指定申請書の提出と指定の取得が必要です。承継する院長は開設届の提出後に保険医療機関指定申請書を提出しますが、保険医療機関指定の取得まで通常1か月程度の期間を要し、さらに締切日も注意しなければなりません。
そのため、一般的には保険医療機関指定申請書と併せて「遡求申請」を実施します。遡求申請が承認されれば開設日まで遡って診療報酬請求が可能となり、承継開業後も継続的に保険診療が実施されるわけです。
関連資料:関東信越厚生局「保険医療機関・保険薬局の指定等に関する申請・届出」
遡求申請を成功させるための条件
「遡求申請」を厚生局に承認してもらうには、注意すべき要件があります。それは第三者への承継で遡求申請を成功させるには、診療の継続性を証明する必要があることです。
具体的には、以下「いずれかの条件」を満たさなければ遡求申請が不承認となってしまいます。
【買い手側の条件】
承継前に対象の医療機関で常勤または非常勤として勤務する
【売り手側の条件】
承継後も常勤または非常勤として勤務を継続する
上記いずれかの条件が満たせない場合、当該クリニック(医院)での継続的な診療が行われているとは認められず、遡求申請も通らなくなってしまいます。
あらかじめ厚生局に「今回クリニック(医院)を引き継ぐので遡求申請を希望します」と相談に行くことで、必要な準備等について詳細な指導を受けられるでしょう。
管理者兼務の制限と対策
ほかにも注意点として、2施設以上の医療機関の管理者に同一の医師を指定すると、開設許可が下りない点が挙げられます。医療法では、個人経営のクリニック(医院)において既に医療機関の管理者となっている者は、別の医療機関の管理者との兼務は認められないと規定されているためです。
“病院、診療所又は助産所を管理する医師、歯科医師又は助産師は、次の各号のいずれかに該当するものとしてその病院、診療所又は助産所の所在地の都道府県知事の許可を受けた場合を除くほか、他の病院、診療所又は助産所を管理しない者でなければならない。”
そのため、仮に2施設以上のクリニック(医院)の運営を希望する場合は、医療法人を設立して自身が理事長となり、別の管理者を雇用する必要があります。
譲渡手続きにおける行政のチェックポイント
医院承継の譲渡手続きでは、医療機関の適正な運営を確保するため、行政による厳格なチェックが行われます。特に医療法人の場合は「非営利性」の確保が重要視され、個人クリニックの場合は開設の要件や保険医療機関指定の適正性が重点的に確認されます。
行政のチェックに引っかかると手続きが大幅に遅れたり、最悪の場合は承継自体が認められなくなる可能性もあります。そのため行政がどのような観点から審査を行うのかを理解し、適切な準備を行うことが重要です。
ここでは、行政書士の実務経験をもとに、譲渡手続きで行政が特に注意深く確認するポイントを具体的に解説します。
医療法人の非営利性の確認
医療法人の譲渡手続きにおいて、行政は主として「医療法人の非営利性」の観点から審査を実施しています。
利益供与への注意点
行政の立場としては、理事または社員が他の企業の役員等を兼任している場合、その企業との取引は原則として不適切とされます。たとえば、理事を務める医療法人をA病院、取引先をB社とします。
行政担当者が「A病院は、複数の業者の中からなぜB社を選択しているのか」と疑問を持ち、B社の役員を調査した結果、A病院の理事との重複が判明すれば、利益供与として違法認定される可能性があります。

社員変更時の行政確認事項
さらに、社員が途中で全員入れ替わっている場合等も、行政からの確認対象となる場合があります。承継時には事前の行政相談を実施し、問題がないことを確認しておくことが重要です。
承継時に注意すべき隠れた債権債務
医院継承では、帳簿上に現れない「隠れた債権債務」の存在が大きなリスクとなります。特に従業員を引き継ぐ場合、労働基準法に関連する未払い債務が後から発覚し、承継後に買い手側が責任を負わされるケースが少なくありません。
特に時間外労働などに関して、もともと不満に思っていた従業員から「経営者が変わるなら、ちゃんとして欲しい」と言われることもあるでしょう。
“時間外、深夜(原則として午後10時~午前5時)に労働させた場合には2割5分以上、法定休日に労働させた場合には3割5分以上の割増賃金を支払わなければなりません。
なお、月60時間を超える時間外労働の場合、通常の賃金の計算額の5割以上の率で計算した割増賃金を支払わなければなりません。
出典:和歌山労働局:時間外、休日及び深夜の割増賃金(第37条)
小規模なクリニックでは、労務管理が適切に行われていないことも多く、承継後に予想外の債務が判明することもあります。このようなトラブルを避けるためには、承継前の十分な調査と、契約書での適切なリスク分担が不可欠です。
ここでは、医院継承時によく問題となる隠れた債務の種類と、その対策方法について詳しく説明します。
従業員関連の債務リスク
従業員をそのまま引き継ぐ際に、隠れた債権債務の有無を確認する必要があります。特に債務に関することで問題になりやすいです。たとえば、承継後に引き継いだ従業員が「経営体制の変更により退職します」と離職してしまう際に、過去の未払い給与が発覚するケースもあります。
未払い給与・残業代の確認方法
このような問題を防ぐには、「従業員に対する未払い給与の有無や残業代の支払い実績」等を売り手に確認しておく必要があります。
【確認すべき労務関連項目の例】
- 給与の支払い状況(未払いの有無)
- 残業代の支払い実績
- 有給休暇の取得状況
- 社会保険の加入状況
- 退職金の積み立て状況
雇用契約の適正化
特に、小規模なクリニック等では従業員との間に、法的に適切な契約を締結していない施設も少なくありません。承継を実施する場合は社会保険労務士を活用し、雇用契約関連の適正化を図っておくことも重要です。
譲渡契約書でチェックするべき重要な項目
ここでは、トラブルが無いように譲渡契約書に盛り込まれる、重要度の高い項目をいくつか紹介します。
| 条項の分類 | 主な内容 | ポイント |
|---|---|---|
| 取引基本条件 | 譲渡価格支払方法譲渡資産の範囲 | 医療機器やカルテ、患者情報等の詳細な資産定義 |
| 表明保証 | 財務状況法的問題従業員関係の保証 | 未払い残業代や保険医療機関指定、行政処分の有無など |
| 誓約事項 | 情報開示義務競業避止義務 | 患者カルテの引き継ぎや同一地域での開業制限 |
| 前提条件 | 契約成立の必要条件 | 社員総会決議(医療法人)遡求申請承認(個人) |
| 補償条項 | 損害賠償の範囲と期間、上限 | 譲渡価格を上限とした合理的な範囲・適切な期間設定 |
【特に重要な医療機関特有の条項】
- 保険診療継続:保険医療機関指定の継続または新規取得手続きの責任分担
- 患者情報管理:個人情報保護法に基づく適切なカルテ・患者データの承継※
- 隠れた債務:未払い残業代・労務関連債務に対する売り手の補償責任
- 競業避止:売り手の一定期間・範囲内での同業開業禁止
※“個人情報取扱事業者は、次に掲げる場合を除くほか、あらかじめ本人の同意を得ないで、個人データを第三者に提供してはならない。
これらの条項を適切に設定することで医院継承のリスクを抑えて、円滑な承継を実現します。
医院継承時に自身で行政手続きを行うリスクと専門家の重要性
医院継承の譲渡契約は、医療法をはじめとする複雑な法的規制が絡む専門性の高い手続きです。一般的な事業承継とは大きく異なる要素が多いため、医療に精通した専門家のサポートなしに成功させることは極めて困難です。
実際に、専門家に依頼せずに自己流で手続きを進めようとして失敗するケースが後を絶ちません。特に行政手続きは書類の不備や提出時期のミスが致命的な結果を招く可能性があるため、最初から適切な専門家に依頼することが重要です。
ここでは専門家に依頼せずに、ご自身が手続きを行う場合のリスクについて、実際の事例を交えて解説します。
自己手続きのリスクと挫折例
行政書士等の専門家に委託せず、医療機関の開設に関する行政手続きを独自に実施しようとすると、医療法の知識不足等により挫折する方が多数います。最初に私の事務所で医療承継の相談を受けてから「自分で行政手続きを実施してみます」とおっしゃる方も実際には相当数います。
しかし「行政手続き時にアレンジしてご活用ください」と申請書の雛形をお渡ししても「やはり独自では実施できませんでした…」と結局戻ってこられる方がほとんどです。
承継開業での行政手続きは書類も相当複雑で、適切に時系列順に物事を整理する必要もあり、医療法を理解していない方が実施すると失敗したり事故につながったりしてしまうこともあります。
顧問税理士への丸投げリスク
行政手続きをよく理解せずに顧問税理士に全て委託してしまうと「役員変更手続きは簡単な手続きだから実施しよう」等と、税理士も医療法の知識が不十分なまま実施してしまう場合があります。
すると、必要な要件が整っていない状況になる可能性があるため、事業譲渡の際に手続きが実施できないこともあるのです。
医療のM&A専門でなくても構いませんが、医院継承の知見を持つ行政書士に委託しなければ、承継開業時の行政手続きは成功しないでしょう。
医院継承の譲渡契約に関してよくある質問
ここでは医院継承のご相談を受けた際に、よく聞かれる質問をご紹介いたします。
医療法人と個人クリニックの譲渡ではどちらが有利ですか?
それぞれメリット・デメリットがありますので、一概にどちらが有利とは言い切れません。医療法人は保険医療機関指定を継続できる一方、社員総会の決議など手続きが複雑です。個人クリニックは手続きがシンプルですが、遡求申請などの準備が必要です。
私たちがサポートさせていただいた医院継承の実績では、売り手側の先生が「個人の先生に譲りたい」という条件から医療法人も視野に入れたことで、スムーズかつ希望の価格で譲渡に成功した事例がございます。
関連記事:【首都圏×皮膚科】個人から法人に視野を広げたことで、ベストな形で医院継承できた事例
承継する医療機関の規模や状況に応じて、最適な承継方法(スキーム)を選択することが重要です。
遡求申請が認められない場合はどうなりますか?
遡求申請が認められない場合、保険医療機関指定が下りるまでの約1カ月間は保険診療ができません。その期間は自費診療のみとなり、患者様にご迷惑をおかけすることになります。そのため、あらかじめ厚生局への相談と適切な準備が重要です。
隠れた債務が発覚した場合の対処法は?
契約書に「隠れた債務に対する売り手の補償条項」を盛り込むことで対応できます。また、承継前にデューデリジェンス(詳細調査)を実施し、労務関係の書類や財務諸表を詳細に確認することで、リスクを最小限に抑えられます。
このような適切な対応ができるように、医院継承は専門家に任せるのが最適です。
譲渡契約から開業まではどの程度の期間が必要ですか?
個人クリニックにせよ医療法人の承継にせよ、契約締結から実際の開業まで3~6か月程度はかかると見込んでおきましょう。
関連記事:医業承継(医院継承)における譲渡が成立するまでの期間
まとめ:医院継承の成功には譲渡契約の内容が重要
医院継承の譲渡契約は、医療法人と個人クリニックそれぞれに特有の複雑な手続きが必要です。社員の過半数確保や遡求申請といった医療機関独特の要件に加え、隠れた債務の調査や適切な契約条項の設定など、これらの複雑な手続きを一人で進めることは現実的ではありません。
医院承継の実績豊富な専門仲介会社に相談することで、適切な承継先の候補探しから契約書の作成、行政の手続きまで安心して任せられます。
私たちエムステージコミュニケーションも医院承継の専門家として、これまで数多くのクリニックをサポートしてまいりました。医療業界に精通したコンサルタントが、先生方の状況や悩みに沿ったサポートを行っております。医院継承をご検討の際は、ぜひお気軽にご相談ください。
▶医院継承・医業承継(M&A)のご相談は、エムステージ医業承継にお問い合わせください。
この記事のインタビュー及び監修者

田中 宏典 <専門領域:医療経営>
株式会社エムステージマネジメントソリューションズ代表取締役。
医療経営士1級。医業承継士。
静岡県出身。幼少期をカリフォルニア州で過ごす。大学卒業後、医療機器メーカー、楽天を経て株式会社エムステージ入社。医師紹介事業部の事業部長を経て現職。
これまで、病院・診療所・介護施設等、累計50件以上の事業承継M&Aを支援。また、自社エムステージグループにおけるM&A戦略の推進にも従事している。
2025年3月にはプレジデント社より著書『“STORY”で学ぶ、M&A「医業承継」』を出版。医院承継の実務と現場知見をもとに、医療従事者・金融機関・支援機関等を対象とした講演・寄稿を多数行うとともに、ラジオ番組や各種メディアへの出演を通じた情報発信にも積極的に取り組んでいる。
医療機関の持続可能な経営と円滑な承継を支援する専門家として、幅広く活動している。
より詳しい実績は、メディア掲載・講演実績ページをご覧ください。